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立川市の戸建(売買)
立川市 戸建一覧
- 東京都立川市エリア情報
- 【多摩武蔵地区の中核都市、立川】
立川の名の由来は古く、武蔵国府が現在の府中市にあった時代にさかのぼります。当時、国府の南西方向に望む多摩丘陵山を「多摩の横山」と呼び、その多摩の「横山」から多摩川を見ると、南北方向、つまり「縦」に流れているため、その近辺を「立の河」と呼んだことに由来しています。
またその名に関連するのか、この地の豪族である「立川氏」が、城を構えたあたり(現在の柴崎町近隣、普濟寺付近)を中心に「立川」と呼ぶようになった、とも言われています。
立川市近隣は多摩川の恵みに支えられ、旧石器時代には人が暮らし始め、縄文時代には、太平洋岸の海産物と山岳部の黒曜石などを交易するルートが拓かれていたようです。戦国時代には長享の乱を決した「立河原の戦い」が行われるなど、多くの人やモノ。様々な地方勢力が交錯するエリアでした。
徳川幕府の時代には、青梅街道や五日市街道が整備され、江戸と各地を結ぶ要衝となりました。維新後、地元の名士・板谷元右衛門(いたや-もとうえもん)が中心となり鉄道を誘致し、1889年には新宿-立川間に甲武鉄道(現在のJR中央線)が開業しました。その後、帝国陸軍の立川飛行場が整備されると、日本初の民間定期航空路となる、東京-大阪の空路が開設されました。
立川飛行場は戦後、米軍に接収され、朝鮮戦争やベトナム戦争の前線基地とされ、国連軍の基地としても運用されていた時代があります。1977年(昭和52年)に日本国に完全返還され、敷地の一部はレジャー施設や公共施設となり、小ぢんまりした現在の立川飛行場は、防衛省陸上自衛隊の立川駐屯地として輸送機や回転翼機の基地であったり、警視庁や東京消防庁、海上保安庁のヘリコプターが飛び交う、立川広域防災基地などとして運用されています。
昔は空路の玄関でもあった立川ですが、現在は甲州街道や五日市街道、奥多摩街道などが走り、市内は多摩地区最多の乗車人員数のJR立川駅を中心に、北部には西武拝島線と、町を縦断する多摩都市モノレールが行き交う、車での生活にも電車での生活にも便利な町として発展しています。
【公園、ショッピングモール、病院や公共施設、歴史に自然…なんでもそろう街】
昭和の時代、基地の町、ギャンブルの町として、すこし暗いイメージをまとっていた立川市ですが、現在はとても明るい街になり、当時の面影は全く残っていません。
米軍基地が返還されたのち、基地を縮小したために生まれた広大に敷地は、昭和記念公園が整備されて、都民の大切な憩いの場となっています。そのほか市役所や警察署、消防署、国家機関、総合病院などが立派なビルを構え、大きなマンション群や立川駅前のデパートなどとともに、大都市の様を呈しています。立川市街の高架を走る多摩モノレールの車窓から、昭和記念公園の美しい緑野や森林と、町のビル群を見遣れば、とても美しい都市景観を楽しむことができます。
それでもまだまだ開発の余地を残していたエリアに、平成の終わりのころ、いくつもの巨大ショッピング施設や文化施設、レジャー施設、アリーナや人工海岸などが整備されました。巨大な家具店「IKEA(イケア)」、大型ショッピングモール「ららぽーと立川立飛」、その近隣には家電量販店、自動車展示場、ゴルフ練習場も立ち並びながら、すべて電車でアクセス可能なので大変便利です。テニスの国際試合が開催された「アリーナ立川立飛」は大相撲巡業なども開催されます。
そしてあまり知られていないのですが、市内南部には水清いせせらぎを味わうことが出来る「立川分水」「柴崎用水」が流れ、北部はこれらの水源ともなっている玉川上水が水面を揺らす、水の豊かな町です。広い広い昭和記念公園を楽しみ尽くしても、市内の各所に残る小川や、傍らの石仏を訪ねる街巡りも楽しいものです。
これは本当は教えたくないのですが…夜のお店も大変充実しています。立川駅周辺は一説によると、日本で2番目に飲み屋さんが集中しているエリアではないか、とも言われています。しかもお値段はお手頃で、都心からわざわざ通ってくる常連さんも多いとか。そのほか、話題のラーメン店が出店する「ラーメンスクエア立川」や「らーめん たま館」、「立川屋台村パラダイス(ヤタパラ)」も楽しいスポットです。
ちょっとお堅いところでは、昭和記念公園の近くの国立極地研究所に設置されている、オーロラシアターやかつて南極観測隊が利用していた昔の昭和基地の再現室は、日本でここだけの貴重な展示です。道を挟んで西側の立川防災館では、地震体験室、煙体験室などでの防災体験お試しいただくことができます。
猫好きにはたまらない、「猫返し神社」こと砂川町の「阿豆佐味天神社」も隠れた有名スポットです。行方不明の愛猫を案じ、絵馬に願いを込めたところ、その子が返ってきた、という話が伝わっています。柴崎町の諏訪神社は奈良時代、811年に信州諏訪大社の建御名方神(たけみなかたのかみ)を分祀しての創建です。「おすわさま」と呼ばれ、古くは地元の農耕神としても親しまれてきました。
立川の歴史を歴史を紹介する、「立川市 歴史民俗資料館」も見ごたえがあります。武蔵野・多摩の人々がでハケと呼ぶ谷筋の、森に湧く泉を訪ねながら町の歴史を学ぶことができます。
【都心へのアクセスが便利】
JR立川駅からJR新宿駅までは、中央特快で最速27分、特急なら23分です。JR南武線の始発駅で、京王線や小田急線へのアクセスはもとより、横浜川崎方面へのターミナルとしても利用されています。多摩都市モノレールは、北は多摩湖の狭山丘陵から、南は多摩動物公園や多摩センターを結ぶ多摩地区の重要な南北の大動脈です。立川市内にはモノレールの駅が7ヶ所あり、立川北駅と立川南駅でJR中央線と連絡し、市北側の玉川上水駅では西武拝島線と連絡しています。西武拝島線では、武蔵砂川駅、西武立川駅を利用できます。玉川上水駅からは最速39分で西武新宿駅にアクセスできます。帰りは拝島ライナーで直通36分の楽々ご帰宅が可能です。
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現在では立川市が多摩地区の中核都市です。JR立川駅を中心に、北口には商業施設、北西には警察や市役所、病院などの公共施設、かつての盛り場だった南口周辺は活気ある飲食店街となり、大都会のようです。
デパートや警察署の向こうには、昭和記念公園の広大な緑が広がり、モノレール線沿いには住宅地、南には多摩川の流れが控えていて、大きな街でありながらも多摩・武蔵野らしい雰囲気も感じさせてくれます。
JR中央線沿線ばかりが話題に上りますが、市北部の西武拝島線沿いも注目のエリアです。玉川上水駅はモノレールも利用できて利便性が高く、西武立川駅周辺は都市整備が進み、宅地と共にショッピング施設が整備されて、とても暮らしやすいエリアになりました。
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